昨日は、年輪の会定例会でした。 [年輪の会定例会]
昨日(3/1)は又、とても寒く冬に舞い戻った様な日だったが、年輪の会の定例会
が旗の台文化センター第二グループ室(何時もの荏原第4集会所は予約が一杯だった)
で行われた。新しく会員になった人には、地図を渡した人も居たのだが、
分り難い場所で、遅刻して来た人が3人も居て、会議を定刻より約25分
遅らせたが、更に遅れてくる人も有った。もう少し、案内を徹底すべきで有ったと
反省している。参加人数は12名で、この中には、当日、入会して下さった
遠く小平からみえて、賛助会員になられたYさんも含まれる。1:25に会議を始めた。
冒頭、司会の私が、先ず新役員人事の決議をして、次にレクの、3/29の花見会の予定、
等を決議する事を話して、役員人事に入ったが、詳しい事は部外秘なので、此処では
書けないが、最近若い人達が続々と入会しているので、
年輪の会の役員も新しい人に担って貰う事と、役員に関しては、年輪の会は
品川区の精神障害者当事者会なので、なるべく品川区在住の人にやって貰おうと
思っている事を話した。(実際には、会長は品川区在住の人に限られている)
そして、新役員人事で特徴的なのは、地域連絡委員(品川区在住)を3人増員、
全て、若い人達で、将来、会長、副会長クラスを担って貰う、期待される人間像なのだ!
年輪の会も世代交代期に入っている。そういう意味で凄く希望が持てるし、将来展望が開ける!
広報委員も地域連絡委員と兼務で有るが、1人増やした。
この職務もとても重要で、年輪の会の会報、文集の編集、
外部機関との折衝等とても忙しいと思う、ただ私が思うには、残念ながら、
副会長クラスが今一つもう少し仕事をして貰いたいと言う事で、来年又役員改正では、実際に
仕事をしている人にこのポストを与えたい。(幾らボランタリーだからやらないのではなくて、逆に
本当はボランタリーだからこそ、自分と仲間達の為に働く、
遣り甲斐が有る仕事なのだと自覚を持って貰いたい、
一般企業の利益追従、効率主義、成果主義では、セルフヘルプグループの存在価値は無い、
然し社会に貢献する立派な仕事なのだ!!立派に地域精神保健福祉活動の一翼を担う存在だ!!
精神障害者の患者だからこそ、本当は精神医療の主役なのだから!!)
色々な意見が出たが、具体的には非公開なので此処では述べない、そして私の案は可決された。
各自、3/1付けで役員になった。各自に自己紹介と将来展望、抱負を述べて貰った、一巡して、
名刺を会で希望者には作るので、言ってくださいと言った。
次にレクの話で、3/29の花見の会(新宿御苑)で、
五反田に10:00迄に必ず集合する様に、10:30に千駄ヶ谷
に集まるグループと合流する為に、遅れてはならないのだ。いい加減にしていると、団体行動なのだから、
他の人に迷惑が掛かってしまう事を忘れてはならない。
精神障害者だからといって、いい加減で良いと甘えてはいけないのだ。
立派な社会構成員なのだから、後、皆一人一人相手を気遣う気持ちが大切なのである。
年輪の会の会員に成ったのだから、各自誇りと自覚と責任感を持って、節度有る行動を取って貰いたい。
雨天の場合、カラオケ会にする事にした。(私が当日判断して電話で連絡する)
4/5の定例会の予定議題と4/18理化学研究所和光研究所一般公開日の件、
5/30年輪の会講演会の件
7/26海に親しむ会(浜離宮→水上バス→浅草)の計画等を話し合い3:00に終った。
妻は体調不良で、家に帰ったが、有志7名でカラオケボックスに行き、皆十八番を歌いまくった。
若い人達の歌は分らなかったが、モニターに作詞が出て、詩の内容を見て居ると、
何か、とても訴える様なものが多かった。私も歌って、
ニコンF80D+AiAFニッコール50mmF1.8D+フジスペリアヴィーナス400で写真を撮った。
終って疲れたが、歩いて帰って来た。夕食を食べて、風呂に入らず、早く就眠剤を飲み寝た。
今日は、早朝覚醒で3:30に起きた。塩水で嗽をして、冷たい水2杯を飲んだ。
薬を詰める。ポット2杯のお湯を沸かし、ドリップコーヒー(キリマンジェロブレンド)
を煎れ、飲みながら、このブログを更新している。
お久しぶりです。少しばかり落ち着くまでコメ欄閉じていたものですみません。
障害者であるゆえの社会参加における心得、身に染みます。
私の場合も家にいることが必然的に多くなり、社会参加する場面少なくなってきているのが心に引っかかっています。
が・・実際にボランティア活動といったときに私も行動できるのかと言われると自信はないかもしれません。
「ただ、気力のわかない部分を都合のいいときだけ病気のせいにしていないか」・・と言われると図星かもしれません。
自己嫌悪に陥ることはありますが、我々の世代などが先人たちの気づいたものを壊さないようにやっていかなくてはなりませんし、なるでしょう。病気における気分の波をどのように管理し、社会活動に継続的に参加していくことを課題としてこれから生きていかなくてはいけないと・・。
とりあえずは、不足しているコミュニケージョン能力を磨きたいと自分は思います。
by mak_ochan (2009-03-03 23:19)
mak_ochanさまコメント何時も有難う御座います。
気力が湧かない時も特に鬱状態の時にこの双極性障害には有る事は重々承知しております。世代間で意見が違うのも当然と言えば当然でしょう、又、私も経済的にも、曲がりなりにも(妻に取り付いたパラサイト人生)一応安定しているからこそボランタリーな活動が出来るので、恵まれている
と感じる方が良いのかも知れません。然し我々は、もう後、5~15年位で
この世と別れなくてはならない身であると言う事で、もう後が余り無い、つまり「残り少ない余生を有意義に生き甲斐を持って過ごしたい!」と言う一念なのです。この世に生を受けたならば、どんなに苦しくとも臨終の時、「皆、有難う!!生きていて良かった」と思いながらこの世と去りたいですから。
そう言う意味で、早く、双極性障害専門のブレインバンクに登録して、死後脳をこの病に苦しむ後世の人達に最後の贈り物として研究に役立てて貰いたい!!
by MDISATOH (2009-03-04 05:54)